マイブログ リスト

2013年10月9日水曜日

老いらくの日々・孤高と清貧

 やらねばならぬことが、

ひちと、ふたつと減って来て、

今ではもう、

息をすることが主たる仕事となり、

排便と睡眠と少食と

外気に触れることと

太陽光に浴することと

たまに、畑に自生する葉や大根などを採ること。

洗濯や布団干しなど、

決められていない気まぐれの仕事にここちよさを感じたり、

たいした食事をしてもいないのに

顔のひげや頭髪や爪は伸びてくる。


さあて、今日も何をするでもなく

しかし、生きているこの肉体に痛みを与えたくもないので、

それなりの動きを強いること、

すなわち、わずかな行動、足を運び、手を動かし、、、

と、少しは動く衝動に従って、

まるでイモ虫のような日々となった。 

さう云えば、イモ虫は何も考えていないから、
なぜ今ここに自分が在るのかさえも考えないから、
彼は幸福でもないし、不幸でもない。
ただ、在るのみだから、、、。

私は貧しさを仕方なく生きる、、、のではなく、
さりとて、投げやりに暮らすのでもありません。
仏教的に言えば 「足るを知る」 というものです。
長い人生をコツコツと耐えて働き続けて来た訳ですから、
もういいじゃぁーないか、という諦めと、何とかなるさというつかみどころもない希望によって生きるのです。


2013年10月8日火曜日

年金にも課税、資産にも課税、相続課税下限も引き下げ

 借金が積もり続ける国の打開策として、
年金収入への課税、動産不動産資産額への課税、相続時の課税強化が現政権の施策として予定されている。数年後から発動されるだろう。
 国の狙いは、貯め込んでいる老人の何百兆円とかの排出を促すことだそうだ。

将来不安が根底にあるので、多額の預金がある老人でさえも貯め込む事に必死なのだ。

 しかし、われわれ貧乏老人には殆ど関係が無い。
あるとすれば、消費税率の上昇と年金額の実質低下であるが、これもまた「そもそもお金が無いからお金を使えない老人」にはあまり恐怖でもない。

 大金持ちもまた多少の資産減少を気にしないだろうから、
慌てるのは大多数を占める小金持ちから中金持ちの人々になるのだろう。

2013年10月1日火曜日

ボケーっと見てないでヒントを得る

 テレビを見ていると様々なヒントが発見出来る。


新聞でも雑誌でもチラシでも、他人の会話内容など
何でもそうだ。

僕は新聞をとっていないのでテレビがヒント獲得の中心となっている。

 例えば、健康サプリメントの宣伝番組を見たとしよう。

「黒酢にニンニクを丸ごとほうり込んだ健康飲料」の場合、

そうなのか、、、じゃあ、家の酢にニンニクを入れて自作できるじゃないか!

、、、と、こんなあんばいだ。
買えば数千円、自作すれば千円もかからない。

 これはケチって生きているのではない。
売られている既製品には食品添加物が少なからず混入されているからだ。
そもそも大昔から人間が食べてきたものに対しては、
人間の消化器官は良し悪しを選別する能力を備えているが、
文明による化学合成された新モノについては、
毒なのかどうかの判別が出来ないのは当たり前であるから、
その成分がどんな形で身体や心の障害として噴出するか見当もつかないからである。

 世間の様々な情報をボケーッとして見ていないで、
その様相に対して、ある程度の疑惑と調査を行うのが
元気でいてくれる我が生命へのせめてもの思いやりではないのかと言いたい。

2013年9月26日木曜日

老人に残されたものは在宅での生業だけになる

 人間は、その年代に係わらず何かをしていないとノイローゼに陥る。

 青年期には多様な関心と興味が日々を満たし、中年期では生活費を稼ぐことに年月を消費する。
そして老年期には、もう既に義務は無いが負債だけは残る。
負債とは「生き続ける義務のような」ものだ。
生き続ける義務を果たすためには、最低でも月々数万円以上が必要となる。
まさに「負債」のようだ。
  生まれようとして生まれたのでもなく、
気が付いたら自分が居た、という次第なのだから、
そして負債を負わされているのだと気付く。
究極的には、生きている事にも何らの価値は無いのだし、
いっそ死んでしまおうかという人々も少しはいる。
一方では、死にたくない、死にたくない、と必死で願う人々もいる。
私の場合は、別にいつかは死ぬのだから、早かろうが遅かろうが構わないと、ずっと以前から確信している。

 全くの理想的な暮らし方をすれば人間の寿命は120歳までは生きられるそうだ。
長く生きたい人は健康に留意してそれなりの長寿を味わって下さい。
 老いて来ると、仕事はほとんどが自炊と洗濯と掃除になります。
もちろん、読書やテレビ、音楽のおかげで退屈からは逃れられますが、逃れるのではなく、何もなくても楽しい心もちを会得するべきなのです。
 見ることも聞くことも嗅ぐことも味わうこともないが、
こころは静かで安穏であるという状態を死ぬまでに体得すべきなのです。
永遠の幸福感、、ニルバーナ、涅槃の境地です。
この境地を身に付ける訓練としての瞑想が主たる生業となります。


2013年9月24日火曜日

成長点を含めた全体食をする

●年齢を重ねるほどに、誰もが「健康な状態で生き延びたい」と願い始めます。
幸いにも現在まで歳相応の健康体で生きて来られたことに感謝しつつ、これからも死ぬ間際まで元気でいたいというわけです。
そんな大切な健康状態を左右する最も大きな要素は3つほどあると言われています。

①毒素の少ない食事
②熟睡睡眠
③適度な運動  、、、です。

 食事の材料は、毒素の少ない食材で、しかも、成長点を含めた全体食をする、というところにポイントがあります。
 米でも野菜でも果物でも、それがめきめきと大きく育つ成長部分が成長点と呼ばれています。その部分は、栄養的にも生命力的にも、数倍以上の滋養があります。
 細胞がどんどんと分裂しているエネルギーを食べるということ。そして、全体を食べるということです。
 魚であれば、イワシなどの小魚を頭からシッポまで食べるわけです。魚という生命体に必要十分なフルセットの栄養を頂くことが出来ます。
 野菜でも、根から葉の先まで全体を調理して食べます。
(全体食)

●人は得てして、サプリメントを買って飲もうとか、栄養剤を買って飲んでみようかとか、お金で買えば簡単だと思いがちですが、そこには落とし穴があります。
それは、食品添加物という化学物質が含まれているという害の事です。
 私の場合は、野草(ヨモギ、柿の葉、桑の葉、イチョウの葉、スギナ、セイタカアワダチソウ、、、、などなど)を乾燥して茶にして飲んだりすることで、ビタミン、ミネラル、その他様々な滋養成分を摂るようにしています。
漢方薬も野草が中心です。
 自然界では、野性の動物など、木の葉や草を本能的に分かるらしく、野草で病を癒しているようです。

●人工的な医薬品には、確かに特効薬的な効き目がありますが、あくまで応急処置的な使い方に限定すべきだと思います。飲み続ければ僅かな成分でもいつの日か別の内臓疾患などを生じると思うからです。
 その点では、自然界のものをかなり希釈して茶として飲む場合は、副作用の心配は無いようです。通常のお茶の濃さの1/30ほどの薄さで飲みます。


「過去」のある老人は強い

「過去のある人」というと、犯罪者のことかなと思われそうですが、その犯罪者も含めて、過去に並みの人間では経験しないような体験をした人は、強いのです。

過去には強かったけど、今は弱っているという人もいますが、いざとなったら彼らは強いです。

 苦労(会社に従属して耐えて来た苦労などは除く)を乗り越えてきた人、

 借金苦を乗り越えて来た、今は普通の人(頑張って代表選手に選ばれた人や政治屋、成功者なども除きます)

いわゆる、地面に叩きつけられて這い上がって来た普通の人、これが一番強いんです。

名誉を目指したわけでもなく、利権を欲したわけでもなく、尻の穴が小さかったのでもない、
普通の人が過去を持っている場合が最強なのです。
 何に対して最強なのか、、、。
貧乏生活に対しても最強となれるのです。
捨てるものが無い状況を過去に経験済みだからなんです。

夏は蚊帳

夏になると蚊が動物の血を吸いに来ます。


 いらっしゃーい、とは言っておれませんので、

ベープだのキンチョールだのがよく売れているようですね。

しかし、お金の無い貧乏老人には昔からの知恵があります。

ズバリ、、、蚊帳です。

蚊帳であれば「無駄な殺生(蚊を殺すこと)」もせずに済みます。

そもそも地球上のあらゆる生物は、
本来的には平等なのです。
生きる権利と喰われる負債をバランスしながら、
それなりに必死に生きようとしているのですから、
「蚊」は殺してもよいのだというのは人間の利己主義ではないでしょうか。
蚊は蚊なりに生まれて来て、老いて死んでいきます。
人間も生まれて来て、老いて、病んで死んで逝きます。
だから、生物はみな兄弟なのです。
 ただ、弱肉強食といわれているように、
生きるために他の命を頂くという最低限の罪は許されるでしょう。
 夏は蚊帳。。。これで無駄な殺生は避けて通れます。