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2017年1月30日月曜日

引き寄せの法則、、、が巷で流行っていますが、、、。

●「引き寄せの法則」というのが巷で流行っていますが、

 ①その真の仕組みを本当に理解し、本質を納得していない限り、引き寄せるものが期待外れになったり、あるいは、むしろ害になったりする訳です。

 昔から「願えば必ずそのようになる」といった成功法則が言われています。
それはその通りなんですが、現実は簡単ではないのです。
要約すれば、願う人の「心の状態」が本来の位置にあるかどうか、ここが大きな分かれ目になっています。

 では、本来の心の位置とは何かですが、
【無我、無欲】の位置にあるかどうか、というのが答えです。
例えば、引き寄せたい対象が自分にとって強い欲望を伴っていた場合は無理です。
逆に、引き寄せたい対象が欲得ではなくて、純粋な愛や慈悲の心から出ている場合はOKです。

でも、引き寄せたいということは「欲望を満たしたい」ということではないか、との疑問が湧いてくることと思います。
そうです。欲があるから何かを引き寄せたいわけですから、
「無欲」での引き寄せなんてあり得ないんです、実際は。。。

 強い欲望はダメです。弱い欲望もダメです。かなり薄い欲望で願うしかないのです。
そんなこと言ったら出来ないのでは、、と感じるでしょうが、それが出来るのが「悟りを得た人、または悟りつつある人」です。

悟りとは、すなわち、
現世での経済的な渇望や名誉を欲する欲望を捨てたところにしか無いのです。簡単に言えば、幼い子供が「アイスクリームが食べたいなぁー」と、ほんとに単純に、しかも策略も計算も無しで望んだとします。
こういった無欲に近い願い事は、遅かれ早かれ実現することが多くなります。

 それとは逆に、
「今年中に何としても○○を手に入れるぞー」と気合を入れて、根性を据えていきり立っても、途中で何らかの障害が出たりして、その願望が叶うことがない、という結果に陥ることが多いのです。

このような原理は宇宙の法則「ダンマ、法」なのです。
川に浮かぶ船が、流れに従って進めば楽に進めるし、流れに逆らえば困難になる、というのと同じ法則です。

 結論的には、欲を手放した生き方をすれば、おのずと向こうから幸福がやって来る、ということなのです。
更に言えば、自分のために頑張るのではなくて、他人の喜ぶ行為、周囲を良くする行為をたんたんと行って行けば、何も求めなくても、向こうからやって来るのです。

 仏教では「心所」と言います。心がどんな位置にいるか、善所か悪所かです。
心をキレイで平穏に保っていれば願いごとなどしなくても幸福な日々が実現するのです。        以上



2017年1月29日日曜日

日本人長寿の鍵?



 健康で長寿というのは生物なら誰もが望むことですね。

微生物がそれを支えているという事ですが、
あらゆる生物、すなわち微生物自身から土壌、河川、空気、植物、動物に至るまで、
細菌やバクテリアなどの共存で命を繋いでいます。
人間の体内にも60兆個の細胞と100兆個の細菌類が棲んでいて、
それぞれの役割を果たしてくれているそうです。

引用記事 ↓

日本人長寿の鍵? 効率よく栄養素作成


 日本人はコメやパンなどの炭水化物から無駄なく栄養素を作る腸内細菌が際立って多いなど、欧米や中国など外国人と腸内細菌が大きく異なる特徴を持つことを、早稲田大の服部正平教授(ゲノム科学)らの研究チームが国際科学誌に発表した。腸内細菌は病気や健康との関連が指摘され、「世界一長い平均寿命などにも関係している可能性がある」という。
     人の大腸には約1000種類の細菌が数百兆個いて、健康に大きな影響を与えているという。研究チームは、19〜60歳の健康な日本人男女計106人を対象に腸内細菌の遺伝子を解析。欧米や中国など11カ国計755人のデータと比較した。
     その結果、日本人の場合、炭水化物を分解して出る水素を使い、無駄なく栄養素を作る腸内細菌が多かった。外国人の場合、水素で不要なメタンを作るものが多かった。また、日本人の約90%に海藻を消化する遺伝子を持つ腸内細菌がいるのに対し、外国人では最高で約15%の人にしかいなかった。
     さらに、日本人の腸内細菌には、DNAが傷ついた時の修復に関わる遺伝子が少なかった。これはDNAが傷つきにくい腸内環境のため、修復の遺伝子を持つ細菌が増えなかったことを示す結果という。人の細胞の「がん化」につながるDNA損傷も起きにくいとみられる。
     腸内細菌の違いは、食生活や人種などが大きな要因とされてきたが、細菌全体の種類別構成でグループ分けすると、日本人はフランスやスウェーデンなどと近く、米国・中国とは別のグループになることも分かった。服部教授は「食事や人種、地理的要素だけでは説明しきれないことが分かった。今後解明したい」と話している。【藤野基文】

    2013年10月9日水曜日

    老いらくの日々・孤高と清貧

     やらねばならぬことが、

    ひちと、ふたつと減って来て、

    今ではもう、

    息をすることが主たる仕事となり、

    排便と睡眠と少食と

    外気に触れることと

    太陽光に浴することと

    たまに、畑に自生する葉や大根などを採ること。

    洗濯や布団干しなど、

    決められていない気まぐれの仕事にここちよさを感じたり、

    たいした食事をしてもいないのに

    顔のひげや頭髪や爪は伸びてくる。


    さあて、今日も何をするでもなく

    しかし、生きているこの肉体に痛みを与えたくもないので、

    それなりの動きを強いること、

    すなわち、わずかな行動、足を運び、手を動かし、、、

    と、少しは動く衝動に従って、

    まるでイモ虫のような日々となった。 

    さう云えば、イモ虫は何も考えていないから、
    なぜ今ここに自分が在るのかさえも考えないから、
    彼は幸福でもないし、不幸でもない。
    ただ、在るのみだから、、、。

    私は貧しさを仕方なく生きる、、、のではなく、
    さりとて、投げやりに暮らすのでもありません。
    仏教的に言えば 「足るを知る」 というものです。
    長い人生をコツコツと耐えて働き続けて来た訳ですから、
    もういいじゃぁーないか、という諦めと、何とかなるさというつかみどころもない希望によって生きるのです。


    2013年10月8日火曜日

    年金にも課税、資産にも課税、相続課税下限も引き下げ

     借金が積もり続ける国の打開策として、
    年金収入への課税、動産不動産資産額への課税、相続時の課税強化が現政権の施策として予定されている。数年後から発動されるだろう。
     国の狙いは、貯め込んでいる老人の何百兆円とかの排出を促すことだそうだ。

    将来不安が根底にあるので、多額の預金がある老人でさえも貯め込む事に必死なのだ。

     しかし、われわれ貧乏老人には殆ど関係が無い。
    あるとすれば、消費税率の上昇と年金額の実質低下であるが、これもまた「そもそもお金が無いからお金を使えない老人」にはあまり恐怖でもない。

     大金持ちもまた多少の資産減少を気にしないだろうから、
    慌てるのは大多数を占める小金持ちから中金持ちの人々になるのだろう。

    2013年10月1日火曜日

    ボケーっと見てないでヒントを得る

     テレビを見ていると様々なヒントが発見出来る。


    新聞でも雑誌でもチラシでも、他人の会話内容など
    何でもそうだ。

    僕は新聞をとっていないのでテレビがヒント獲得の中心となっている。

     例えば、健康サプリメントの宣伝番組を見たとしよう。

    「黒酢にニンニクを丸ごとほうり込んだ健康飲料」の場合、

    そうなのか、、、じゃあ、家の酢にニンニクを入れて自作できるじゃないか!

    、、、と、こんなあんばいだ。
    買えば数千円、自作すれば千円もかからない。

     これはケチって生きているのではない。
    売られている既製品には食品添加物が少なからず混入されているからだ。
    そもそも大昔から人間が食べてきたものに対しては、
    人間の消化器官は良し悪しを選別する能力を備えているが、
    文明による化学合成された新モノについては、
    毒なのかどうかの判別が出来ないのは当たり前であるから、
    その成分がどんな形で身体や心の障害として噴出するか見当もつかないからである。

     世間の様々な情報をボケーッとして見ていないで、
    その様相に対して、ある程度の疑惑と調査を行うのが
    元気でいてくれる我が生命へのせめてもの思いやりではないのかと言いたい。

    2013年9月26日木曜日

    老人に残されたものは在宅での生業だけになる

     人間は、その年代に係わらず何かをしていないとノイローゼに陥る。

     青年期には多様な関心と興味が日々を満たし、中年期では生活費を稼ぐことに年月を消費する。
    そして老年期には、もう既に義務は無いが負債だけは残る。
    負債とは「生き続ける義務のような」ものだ。
    生き続ける義務を果たすためには、最低でも月々数万円以上が必要となる。
    まさに「負債」のようだ。
      生まれようとして生まれたのでもなく、
    気が付いたら自分が居た、という次第なのだから、
    そして負債を負わされているのだと気付く。
    究極的には、生きている事にも何らの価値は無いのだし、
    いっそ死んでしまおうかという人々も少しはいる。
    一方では、死にたくない、死にたくない、と必死で願う人々もいる。
    私の場合は、別にいつかは死ぬのだから、早かろうが遅かろうが構わないと、ずっと以前から確信している。

     全くの理想的な暮らし方をすれば人間の寿命は120歳までは生きられるそうだ。
    長く生きたい人は健康に留意してそれなりの長寿を味わって下さい。
     老いて来ると、仕事はほとんどが自炊と洗濯と掃除になります。
    もちろん、読書やテレビ、音楽のおかげで退屈からは逃れられますが、逃れるのではなく、何もなくても楽しい心もちを会得するべきなのです。
     見ることも聞くことも嗅ぐことも味わうこともないが、
    こころは静かで安穏であるという状態を死ぬまでに体得すべきなのです。
    永遠の幸福感、、ニルバーナ、涅槃の境地です。
    この境地を身に付ける訓練としての瞑想が主たる生業となります。


    2013年9月24日火曜日

    成長点を含めた全体食をする

    ●年齢を重ねるほどに、誰もが「健康な状態で生き延びたい」と願い始めます。
    幸いにも現在まで歳相応の健康体で生きて来られたことに感謝しつつ、これからも死ぬ間際まで元気でいたいというわけです。
    そんな大切な健康状態を左右する最も大きな要素は3つほどあると言われています。

    ①毒素の少ない食事
    ②熟睡睡眠
    ③適度な運動  、、、です。

     食事の材料は、毒素の少ない食材で、しかも、成長点を含めた全体食をする、というところにポイントがあります。
     米でも野菜でも果物でも、それがめきめきと大きく育つ成長部分が成長点と呼ばれています。その部分は、栄養的にも生命力的にも、数倍以上の滋養があります。
     細胞がどんどんと分裂しているエネルギーを食べるということ。そして、全体を食べるということです。
     魚であれば、イワシなどの小魚を頭からシッポまで食べるわけです。魚という生命体に必要十分なフルセットの栄養を頂くことが出来ます。
     野菜でも、根から葉の先まで全体を調理して食べます。
    (全体食)

    ●人は得てして、サプリメントを買って飲もうとか、栄養剤を買って飲んでみようかとか、お金で買えば簡単だと思いがちですが、そこには落とし穴があります。
    それは、食品添加物という化学物質が含まれているという害の事です。
     私の場合は、野草(ヨモギ、柿の葉、桑の葉、イチョウの葉、スギナ、セイタカアワダチソウ、、、、などなど)を乾燥して茶にして飲んだりすることで、ビタミン、ミネラル、その他様々な滋養成分を摂るようにしています。
    漢方薬も野草が中心です。
     自然界では、野性の動物など、木の葉や草を本能的に分かるらしく、野草で病を癒しているようです。

    ●人工的な医薬品には、確かに特効薬的な効き目がありますが、あくまで応急処置的な使い方に限定すべきだと思います。飲み続ければ僅かな成分でもいつの日か別の内臓疾患などを生じると思うからです。
     その点では、自然界のものをかなり希釈して茶として飲む場合は、副作用の心配は無いようです。通常のお茶の濃さの1/30ほどの薄さで飲みます。