●清貧の哲学と知恵で自然から多くを学び、 低収入で暮らすための節約と工夫と、 自然農的自給自足生活で豊かに生きる (旧・貧乏を生きる!) ・・・貧乏を生きる! この国では既に、貧乏人が絶対多数になりました。 前向きな清貧に生きる群衆の知恵と情報を集めましょう。 「カネの呪縛から少しでも離れて価値基準を逆転し、 底辺・清貧の知恵と工夫でお金に全てを頼らずに、 明るく清く楽しい節約と工夫の自給自足の範囲を増やし、 自由な生活を豊かに生きるスローライフを目指しましょう!」 ●孤高に生きる!支配管理社会よサヨウナラ ・半隠遁の暮らし・仙人、スローライフへの道! ・・・この世に係われば係わるほど自由と自己を喪失します。 無の境地で自分の内部と対峙して闘い、主体性を確立する。 ニーチェ、ショーペンハウエルの思想や、 ブッダ、老子荘子、イエスにも近い考え方。
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2018年4月9日月曜日
2017年7月19日水曜日
認可されましたので、お知らせいたします。
●先進医療の各技術の概要
第3項先進医療【先進医療B】(66種類)
68番 水素ガス吸入療法 12月9日
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/sensiniryo/kikan03.html
水素ガスの効果と安全性が世界ではじめて国(厚労省)から認められました。
『水素ガス』が認められたということは、
酸素ガスに水素ガスを2%混ぜて生体内に送り込む今回のやり方だけでなく、
液体に水素ガスを含有させている水素水の飲用や、水素点滴にしても
水素ガスを生体内に送り込むという点では同じといえます。
つまり、水素ガスの送達手段は1つではないということです。
『心肺停止後の水素ガス供与が有効である』とのことは
水素ガスの大きな可能性を示唆しており、今後も医療機関での活躍に期待しています。
2017年4月15日土曜日
シューマン波、シューマン周波数はスマホで無料で作れます。
話題のシューマン周波数を発生させるのに無料の方法がありました。
・スマホのアプリのひとつを使えば、7.83HZを正確に作れて、
それをそのまま音(耳には聴こえないスピーカーの振動。目で見るとスピーカーが動いています)で出せますし、
あるいは、変調して聴こえる周波数で出力したりも出来ます。
・ただ、そのアプリの使い方は、電子工学とか電気とか物理とかが得意であった人の
レベルでないと、設定の意味が理解出来ずに難しいと思われます。
2017年2月14日火曜日
破れかぶれ長寿法
まあ、この歳まで生きたのだから、あとは余録の年月だと悟れば、
やることはただひとつ。
いかに元気で長らえるか、健康寿命を楽しめるかという一点に絞られる。
様々な健康法がちまたに溢れてはいるけれど、そのどれか一つを徹底的にやったところで、必ずしも効果がてきめんとは行かないだろう。
何故ならば、生命体は肉体的にも様々な自己防御機能と自己回復機能を備えているし、不具合の要因もこれまた数個程度では済まず、複雑多義に亘るからである。
だから、こうしたら長生き出来るという話は、1つや2つのやり方で成り立つ筈がない。
少なくとも片手指の数以上の条件や環境が揃わないと無理な相談だろう。
私が集めた、そして私がやっている長寿法は以下のものである。(順浮動)
1 死の練習(瞑想)
2 テラヘルツ波を浴びる
3 水素ガスを吸う
4 炒り玄米をボリボリ食べる
5 夜の熟睡
6 ゴマ、きな粉、野草茶を食す
7 酢、梅酢ドリンクを飲む
8 波動の高い水を飲む
9 生野菜酵素を造って飲む
10 炭酸、クエン酸水を飲む
11 白湯を飲む
12 少食、不食、ファスティング
13 麦飯石水溶液(ミネラル)を飲む
14 小麦製品、白砂糖、植物油を避ける
15 遠赤、竹炭、備長炭で共振する
16 悩みなしの状態にいる
17 予定を立てない、やらねばを捨てる
18 迷わない、継続の切断または停止
2017年2月11日土曜日
歩くことは生きること (エッセイ)
歩くことは生きること (エッセイ)
私は六十四歳後半で勤め人を辞めた。老いが始まった今頃になって真の自由を与えられても、今さら何が出来るのかという無力感が頭をよぎった。
それと同時に、働き続けても資産家にはなれないラットレースの経済社会で人生の元気な時期の大半を消耗してしまったという、残念な思いもあった。
退職の数か月後には年齢が六十五歳に達し、それに追い討ちを掛けるかのように、町役場からの郵便で、わが身が高齢者扱いとなった現実を思い知らされた。
数ヶ月が過ぎると、週日を自宅で過ごすという不自然さにも慣れて、無職生活への覚悟も固まった。しかし、何をするでもない、目的もないふらふらとした時間を過ぎやる日々が続き、食欲も精神の活力も失われ、全身にもけだるさが充満し始めた。
ある朝、心機一転を決し、世の先輩ご老人方を見習って歩く運動を始めることにした。
家の周辺や近隣の緑地帯を一時間程度歩き回るのだ。家に戻ると確かに身も心も快適になっていた。
現役の頃、年に数回は朝早く職場に行く必要があった。まだ夜が明けぬ薄暗い田んぼ道を車で行くと、突然に路肩を歩く高齢者たちに何度も遭遇した。世間の一部では老害とも揶揄される昨今だが、私も彼らの仲間になってしまったのだ。
歩くということの充実感に味をしめて、ひたすら歩いていると、時々自分の意識がゆっくりと別の精神空間に移動することがある。それは一種の幻覚に違いない。ネット検索で調べてみると、脳科学的にもそのような抽象空間が認識できるとの見解も載っていた。
何とも爽快な感覚なのだが、肉体の快活さが引き金となって、脳内にドーパミンなどの快感ホルモンが分泌される現象なのだろう。元来、原人類は歩いて新天地を目指した。シルクロードを旅した遠い先人たちも見果てぬ地の先に希望と不安を抱えながら歩いていたに違いない。
歩くということは肉体の動作を指すだけではない。人の一生がまさに歩き続けることなのだ。暮らしの形も質も大きく変わってしまった現在だが、やはり今でも人は生きることの先に希望と不安を抱いて歩いている。
時間という絶対的なものが停止しない限り、宇宙に存在するあらゆる物質は立ち止まることが許されない。この地上に生命を受けた私も、その宿命として一秒たりとも休むことなく歩むことを強いられている。そうであるならば、多少なりとも、今よりも心を豊かにするために歩くべきだと思った。
時間は未来から過去に向かって流れている。
後方には過ぎ去った過去が見える。歳月を振り返れば、誰もが生きるために必死に歩き続け、走り疲れてつまずき、深い谷間に迷い込んだ経験があるに違いない。
迷いは決して多感な青春期だけのものではない。人生のあらゆる場面で人はに判断と決断を迫られ続ける。歩くことはまさに人生そのものであり、旅することでもある。
穏やかな伊勢湾と、点在する多くの緑地に恵まれた四日市市の面積は六千二百万坪にもなる。また、隣の菰野町は鈴鹿山脈と自然豊かな森林に抱かれ、三千二百万坪を有してる。選り好みさえしなければ、歩ける道は無限に広がっている。
無心になって自然の中を歩けば、名も知らぬ草木や虫に出合い、大自然の大いなる魂の存在にも気付く。街中をゆっくりと進めば、人々の素朴な暮らしの側面を身近に感じる。
また、名もない田舎の街道を往けば、昔の旅人とすれ違ったりもする。
歩くことは心の旅でもあるのだ。
心が遊び歓ぶことだ。
過去の思い出に涙したり、明日に想いを馳せたりと、その日の気分次第で時間軸の遠方にも彷徨える楽しさがある。
一方で、余計な事は何も考えずに、今の瞬間を五感で味わいながら、犀の角のように、ただ独り黙して歩めと、かの釈迦仏陀は二千五百年前に言っている。
散策する人にとっては自然の大いなる存在や神仏と対峙する機会にも恵まれる。私は既に死への恐怖感は無い。残された年月を清貧と孤高の志しで暮らしたいと真剣に想う。
思索の果てに、生きることとは何かという永遠の課題に何度もぶつかり、書店や図書館に立ち寄った。そこで出会う書物の多くは仏陀やイエスや哲学者の教えだ。
ひんやりとした初秋の風の中を歩きたいと思い立ち、山裾にあるコンビニエンスストアで休んでいると、ヘルメット姿の若い女性ライダー三人に遭遇した。オシャレなデザインの小型バイクを操り、静岡県からこの菰野町まで駆けて来たのだ。元気に満ち満ちた、若さまっしぐらの彼女らを、駐車から見えなくなるまで見送った。 (完)
エッセイ 「田舎町の裸族」
エッセイ 「田舎町の裸族」
2017年2月1日水曜日
食べない健康法
そのために、体内に脂肪とかたんぱく質という形で栄養素を蓄えていて、外から食物を得られない時期を生き延びている。
人間も全く同じ機能を備えているが、人間だけは毎日、必要以上の食物を食べ続けてしまうという、すなわち、不自然な食生活を文明によって獲得してしまった。
当然のことながら、過剰な栄養と空腹時間の激減が人体と精神に異常な状態を生み出したのが現代である。
昔には無かったような、様々な贅沢病が蔓延している。糖尿病、腎臓病、血管、心臓病から精神不安定など。
さらに、加工食品などが流通し始めて、必ず数十種類もの食品添加物や残留農薬が食事として体内に毎日入って来る。
身体を病み、心を病み、医者代と薬代で経済は高成長している始末だ。